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お越しいただきありがとうございます。 美術や制作物関連の雑談がメインです。 色々勉強中ですが宜しくお願いします。

雑貨と彫刻の違いについて思うこと

雑貨と彫刻に違いはあるのか

 先日ある人から聞いたこの台詞に少し引っかかったので私なりに考えてみました。

可愛らしい彫刻を見て雑貨だと感じるひとはいるだろうし、大きさは同じでもそれが仏像のような形だったとしたら何となく彫刻だと捉えるひとは多いのかもしれません。違いは何なのでしょうか。

 

そもそも何故私はその台詞に引っかかったのかというと、実際私はある可愛らしい作品を写真で見て「これは雑貨っぽいな」と思ったからです。実物を見るまでは思っていました。いや、彫刻家ご本人とお話するまではまだ思っていたように思います。

その人は彫刻家に雑貨と彫刻の違いはあるのかと質問しました。

彫刻家からは「雑貨と彫刻に違いはない」との答えが返ってきました。

違いはないの意味とは

“違いはない”とはどういうことでしょう。私はその日のやり取りを自分なりに振り返ってみました。

すると私は作家本人と話したことで作品の見え方に変化があったことに気付きました。

多分今回の場合ですと、私が作家本人に興味が持てたことがきっかけで見え方が変わったのだと思います。可愛らしい作品写真を事前に見ていたため、その時は既に決めつけて作品を見ていたように思います。年齢も近いその彫刻家に情けないですが場違いな嫉妬心も私の場合は生じていたのかもしれません。先入観が邪魔することなく作品を見るきっかけとなったのが作家との何気ない会話でした。

そして純粋に作品を見るようにすると、作家がモチーフをどのように見て何を感じたのかが作品からあふれるように発信されていました。

写真を見た時には気づけなったけれどもこの作品たちは彫刻だと私はその時感じました。

「雑貨と彫刻に違いはない」には「見る人が決めることだから」と続きがあったのではないかと思います。

ヴィーナスの首なし像をつくりました

 

箱根彫刻の森美術館へ行った時に見たジムダインの展望台が本当に爽やかでした。

なぜタイトルが展望台なのだろうと不思議でとにかく気になる作品でした。

その二人のヴィーナスをみていると、ミロのヴィーナスをひたすら描き続けた日々が懐かしく思い出されます。

 

その日々を思い出しながら首なしのヴィーナスを羊毛ちくちくと作りました。

 大きな背中やゆったりした動きが表現できているといいなぁと思っています。

minneに出品しました。

https://minne.com/@o29-neji

ご覧いただけましたら幸いです。

 

 

 

 

リアルな具象彫刻

2017年4月頃に豊田画廊で松田光司さんの個展を見に行きました。

 

個展ではネットで拝見した作品の実物を見ることができました。

作品は想像よりも小さかったのですが、こんなにもリアルに細密に作り込まれているの!?と逆に驚きと感動でいっぱいになりました。

人物の表情がとても魅力的に存在しており、肉体の重力のかかり具合の表現も生々しくて美しかったです。

また今回は布をテーマにした彫刻のシリーズがあり、そのしなやかでブロンズなのに柔らかそうな造りに思わず息をのみました。

 

実はこの時に作品を見たことがきっかけで、小さな首像を作ってみたのですよ。

 

 

木彫をみて

おかざき世界子ども美術館で開催中の「木のどうぶつたち」をみてきました。

作者ははしもとみおさんという綺麗な彫刻家の方でして、彼女のたくさんの木彫をみることができました。

 

以前写真で彼女の作品を少し見た時に、私は”可愛い雑貨”のようなイメージを持ちました。

雑貨は私も好きなので、今回個展を見に行ったわけなのですが。

しかし実際見に行ったらいい意味で裏切られることになりました。

作品たちは生き生きとしていて自由気ままに生きていました。

しかし作品からは個々の生命力からくる力強さよりもほっこりした感じユニークさが強く出ており、彼女がどう生き物たち見て感じているのか、そんな彫刻家が「見ている風景」を見ることができた素敵な作品展でした。

 

 

首像をつくりました

 

これは羊毛フェルトで作った首像です。

 

”作ったものを世に発信したい”

”可能であればものを作って生きていきたい”

しかし思っているだけでは始まりません。

だからまずは小さいものから発信していきたいと考えました。

 

何気なく置いてあるものが(なんだかアートっぽいな)と思うようなものを作っていきたいです。

 

 

しかしこの首像は…どうなのでしょうか。私は気にいっています。

 



 

フェルトで作ったものなのに可愛くない坊主頭の首像です。

彫刻のように凹凸だけで人の頭部を作りたかったのです。

口のあたりなどはいい形になったかなぁと自画自賛しています。

 

首像2

 

派手な色ですが意外と和な感じの置き物に合います。

 

 

minneに出品しました。

https://minne.com/@o29-neji

ご覧いただけましたら幸いです。

 

彫刻家の個展をみる

2016年末に葉栗里さんの個展をみに行きました。

個展自体がはじめてで、ギャラリーに入って良いものか購入をしないとならないのかなど疑問はたくさんでしたが思い切って行ってみました。

ギャラリーは可愛らしく、葉栗里さんのつくるほんわかした軽やかで不思議な木彫がたくさん展示されていました。

あの重力に逆らった感じの造形は彼女ならではの作品性なような気がします。

 

いいなぁうらやましいなぁ私も早くやりたい

なんて考えが甘いんだろうな。

主体的に作品を見ていきたい

女性絵画を見る

古川美術館開館25周年記念展で2016年末頃まで「女性を描く~少女から婦人まで」展が開催されていました。浮世絵の美人画から明治時代以降の西洋美術の影響を受けた女性画がメインの展示です。こちらの美術館は一階二部屋、二階一部屋の構造になっていました。静かな立地でレトロな雰囲気がある美術館です。

興味がないからこそ敢て見るという行為

私は正直に言うと作品を知らなすぎる人間です。知らないことから考えの幅が狭く視野が狭く縮こまった人間になってしまっているのではないかと私は自分を見ています。だからこそ興味がなかったものを無視するのではなくて率先して見に行こうと考え今回見に行きました。

無知な状況でも見続けることで繋がってくる

これは私のイメージですが、日本画は繊細、浮世絵は平面といったものです。しかし今回浮世絵をみて日本画同様繊細な描きで、且つ陰影で現す立体感は少ないのに奥行き感がしっかり出されていることに驚きました。

当時の日本画には女性の裸を描くという考えは無かったそうです。西洋彫刻や絵画では肉体の美しさを表現することが当たり前に行われていますものね。(そういえば春画も服を着ているものが多かった気がしますがうる覚えです。以前熱海にある秘宝館で春画を見ましたが意外と面白い場所でした)そういう当時の西洋の影響を受けた作品をみることができました。また、古川美術館には藤田嗣治さんの女性の絵もありました。当時藤田嗣治さんの描く肌の色が話題になったそうです。藤田さんの絵画は「画家たちと戦争」展で猫と一緒にいた自画像が展示されていたのを見ました。女性の絵、猫、戦争画で有名な方だそうですね。当時その自画像を見たときは、なぜそんなに特別扱いされた絵なのだろうかと不思議に思っていましたが、別の展覧会で同じ作者の作品に出会うと当時とは違う感覚で作品をみていました。こういう出会いはいいなと思いました。

技術の凄さは体験から気づける

色々と興味の薄い状態のまま絵を見に行っていましたが、先日初めて水彩色鉛筆で絵を描いてみたのです。(私は鉛筆や木炭での素描くらいしかやっていないです)

水彩色鉛筆は色を重ねて描いたり水をその上から塗ることで水彩絵の具のような具合になる道具なのですが、そもそも色での表現が難しく、思っている色を表すことが難しいことに驚きました。こうやって稚拙だろうが経験することで別の視点からも作品に興味を持つことに繋がります。また作品をたくさん見ることで段々と作品の見え方に変化が出てきたように最近は思っています。

瀬戸物はカッコいい芸術作品だった

名工たちの熱き戦いをみてきました

2016年末頃まで瀬戸陶芸協会設立80周年記念展古川美術館分館で開催されていました。

日常で何気なく使っている瀬戸物という言葉。瀬戸焼で有名な瀬戸にちなんだ呼び名だったようです。私は陶器でできた食器は全てに対して「せともの」と長年知らずに使っていました。お恥ずかしい。

瀬戸は陶芸などが有名で、その瀬戸で活動されている方々の作品が今回展示されていました。

食器という感覚で見に行ってしまったので結構衝撃でした。

最近家具と芸術品を合わせたような作品が多く出ていますが、まさに瀬戸の焼き物も日常に溶け込む芸術品のようです。花器や抹茶碗、器、照明など、たぶんですが伝統的な技術に作家の感性が加わった作品たちだったのでしょう。抽象彫刻のようでモダンという言葉が良く合うようなとにかく好きな感じでした。

また古川美術館分館は建物や庭園が素敵で今回の陶芸作品が場に良く馴染んでいました。

設置場所も作品の一部と考え見せ方まで考えた構成が大切になるのですね。

この作品の設置した空間までもが作品という考え方は、最近の芸術作品のジャンルであるインスタレーション作品とも通じる気がします。といっても今回は作品数が多すぎて結構並べてあるだけといった状況でもあったので場と作品が合っていただけだとは思いますが。

以上感想でした。

魅力的な作品はなぜ魅力的なのか

美術科の高校生の卒展をみて

昨年、美術科の高校生の卒展をみた時のメモから気にいった作品の覚書から。

油画科から。

夜道を描いた絵が素敵でした。作者のコメントで夜道が鮮やかに見えてそれを描きたいと思ったといったようなことが書かれていて、鮮やかな夜道が(前向きな思考が見せる風景)が絵を見ている私もうきうきするような感覚を味わえました。

もう一つ、同じ作者の部屋の中のワンシーンを描いたもの。部屋のワンシーンは暖かな色味で気取らない日常風景が描かれていて、そういう何気ない日常が忘れられない記憶となる日がくるという、切なくなるような泣きたくなるような作品。

最後にもう一つ。電車内の時間の経過を描いた作品。これは作者が描きたいと思ったものが良かったです。年をとったからか、なんとなくこれもノスタルジックな感覚になる作品でした。

 

同会場で開催されていた絵画展

この日はどこかの団体の展覧会もいくつか開催されていました。

何かが足りない、何が足りないのか分からないのですが、印象に残るものが特にありませんでした。技術は高校生の私が印象に残った絵よりも上手だなぁとは思うものは多いのだけれども、それをなぜ描きたかったのかが伝わってこない絵が多いのです。

実はこの「伝わらない」、私も良く言われる言葉なのです。

それを言われた絵を描いた私は、当時何を思ってその絵を描いていたのかというと”課題だから仕方なく構図を考えて描写した”だけだったのです。描写はできているけどねととってつけたように言われていました。

絵や塑造ってそういうものが出てしまうのですね。

今回の団体の展覧会に展示されていた作品が全てそうだとは言いませんが、エネルギー溢れる卒展の後だと霞んでしまう程度でやや弱かったのではないかなと感じます。

何を感じ何を表現したいのか。

そういうものが強いほど作品を魅力的に見せて記憶に残るものとしていくのではないかと思います。

作品への想いを言葉にすること

人はみな自分を知ってもらいたい

私は何かを作るとその”想い”を語ります。作ったきっかけや意図なんて当然で、苦労話なんかも相手が興味あるかないかなんて考えず話したくなります。

果たしてその話はプラスに働くのでしょうか。

私の失敗から

私は以前、販促の仕事をしていました。お客様へ提案をする仕事です。当初は限られた時間内に伝えられることを全て伝えようと必死でした。その必死さが裏目にでていたのですね、お客様は置いてきぼりです。

それは「相手が聞きたくない(相手が聞いても意味がないと思っている)ことは私が伝えたいこと」であり独りよがりな話ばかりだったように思います。

これが月日は経ち仕事にも慣れてきた私は、必死さは変えずお客様に伝えることは選ぶようになっていました。それによりお客様の置いてきぼりな状態は軽減し、会社への貢献にもつながっていきました。

美術も社会生活の延長

美術作品であっても作品の”想いを相手に伝えることを抑えること”は多分大事なのではないかと思います。

それを意識したきっかけとなった作品がキオグリフィスさんのwhite houseです。この作品はあいちトリエンナーレ2016で体験しました。この作品は様々な国の言語で話される声を集めている作品で、暗い部屋の中でその様々な声を聴くのです。私はこの作品を二回体験しました。今回のトリエンナーレの中で一番印象に残っている体験だからです。暗い部屋を進んでいくと音がします。視界が働かない中耳だけが頼りな状態で、聞き取れない言語の中に聞こえる日本語。その日本語もなんの脈絡もない話が様々な方向から聞こえる。私は孤独を感じて怖くて胸がドキドキしました。とても興奮したことを覚えています。

部屋を出て他の作品を回った後に、もう一度この部屋に訪れました。一度目の時に読まなかった作品説明を読んでおこうと思ったからです。その作品説明には私にとってはどうでもいい解説が書かれていました。その作品意図を知った上で体験したこの作品には私が感じたドキドキ感は一切なくなんとなく説教じみた思いをしただけでした。注)それでも今回の作品の中では最も印象に残っている素晴らしい作品でした。

 

トリエンナーレの作品説明は本人が書いたものではないのかもしれません。

しかし作品に対する思いや意図を伝えることがプラスに働かない場合もあるのではないかと感じるきっかけになった作品でした。

 

14人が表現するそれぞれの生き物たち

「生きとし生けるもの」展という場から思ったこと

この「生きとし生けるもの」展は静岡県東部にあるヴァンジ彫刻庭園美術館で開催されていた企画展です。美しい庭園の中でそれぞれの作品たちが存在感を放ちながらも自然の中に馴染んでいました。

14人の作家がそれぞれ生き物を表現しているのですが、当然14人も表現者がいますと生き物の表現の仕方はみな違います。グループ展のようなものは同じテーマでありながら人によって考えや発想の違いをみることが出来る貴重な場です。

考えの違いを楽しめるか

この考えの違いを面白いと思えることって大切です。特に実生活ではこれが出来る出来ないとでは人間関係に大きな影響を及ぼすのではないでしょうか。わかっていても違いを楽しむを実践することはなかなか難しいことです。

考えの違う人に出会ったとき拒絶をするアナタ(私)は頑固だ。

興味を持たないと面白いと思うところまではいけない。

以前他人に言われた事です。その時は反発していましたが後々になってその通りだなと思いました。この二つを戒めとして、そして素直さを忘れず向き合うことで、作品を見たときの「難しい」「意味がわからない」しまいには「どう見たらいいのかわからない」という答えを求めた鑑賞から変われるようになってきました。

心を開き受け入れることで自分とは違う考えを面白く見ることができるのではないかなぁと最近思います。それに、その思った事が作者の考えと違うとしても問題ないですしその違う考えに習わなければならない訳でもないですしね。

 

以下気にいった作品の覚書

可愛いというか怪しさの方が勝った桃色の「ベイビーうさぎ」が良かったです。イケムラレイコさんの作品だそうです。陶器でできた作品は少し怖くなる傾向があるように思うのですが(実家には陶器のピエロが飾ってあるのですが何故か怖い怪しい雰囲気がぷんぷんです)その傾向がやはり出ているように思う作品でした。

目立っていたのは三沢厚彦さんの動物の彫刻たち。デフォルメされた動物たちはサイズは本物と同じだそうで、獰猛な動物彫刻は間抜けな表情で可愛い!と思いつつも量のある物体というものはやはり少しの恐怖感を私に抱かせました。

もう一つ気にいった作品が橋本雅也さんの植物の彫刻です。繊細で綺麗だなぁ工芸作品のようだと見ていたのですが、その繊細な植物は鹿の骨からできているそうです。骨の繊維感が植物の繊維感に似ていることが新たな発見でした。オフホワイトで作られた植物が本当に美しかったです。

 

 

 

少し不思議な具象彫刻 ヴァンジの彫刻をみて

世界で唯一のヴァンジ個人美術館

イタリアの現代具象彫刻家であるジュリアーノヴァンジ彫刻庭園美術館へ行った時のお話です。ここは静岡県東部の三島駅から無料シャトルバスに乗って行くと美しい庭園にたどり着きます。庭園なので、行く時期によって見せる植物たちの変化も楽しみの一つです。またこの美術館は企画展も良く行われていますのでそれを目的に行かれるのも良いですね。年間パスポートがあると大変うれしいのですがここは無いようです。

少し不思議な具象彫刻

リアルな人体彫刻とは違った自由な発想の人体彫刻で、どれもわくわく感が止まらない彫刻たちです。

彫刻材料である石の特長を生かした石そのものの形や質感を最小限の手の入れ具合で作られた寝そべった人体の彫刻や、これまたざっくりした作りなのに人にしか見えない石彫。ヴァンジのつくる人はなんでこんなに味があるのでしょうか。

ユニークな作品が多いなか、大きく不穏な荒々しい彫刻があり思わず見入ってしまいました。カテリーナ3というタイトルの付けられたその彫刻は、荒々しく人が歪み溶けあい混ざるような海に現れる羽の生えた人。

荒々しさは土を手で力いっぱい掴み引きちぎるような、手の皺が土に残っているような生々しさによって表現されていて、巨大台風による自然災害の恐怖が心に響いてくる作品でした。すごいです。

私は彫刻家のデッサンが好き

彫刻をやっている人の素描が好きです。絵画的ではなく形をひたすら描こうとするその素描が好きで好きで。

ここヴァンジ彫刻庭園美術館にも絵画の展示が数点ありました。この絵描きの描く絵とは違う彫刻家の絵画。物を描くそのタッチが本当に良かったです。あれは彫刻作品を作るためのデッサンだったのでしょうか。そのまま彫刻になってもおかしくない絵画でした。

他でも見られるヴァンジ作品

箱根彫刻の森美術館へ行ったら2点ヴァンジの作品に出合えました。「偉大なる物語」が目的の一つだったのですが、大きな彫刻一つの塊が物語の舞台として繰り広げられているのです。いやぁ良かったです。

 

 

ロダンの作品をみて興味を持ったこと

ロダンがたくさん見られる場所

まず行った場所は静岡県立美術館にあるロダン館です。

彫刻を学ぶにあたりまずは西洋美術を学ぶことが日本の美術教育ではセオリーとなっているようなので、勉強のために行ってきました。

写真では見たことがあっても中々実物を見ていなかったロダン作品。

ここには常時32体の作品が展示されています。

静かで人も少なく価格も安い美術館…近くにあったら毎日でも行きたいくらい贅沢な場でした。

 

ロダンの有名な作品である地獄の門から考える人をはじめ、近代彫刻に影響を与えたカレーの市民バルザックなど幅広く展示されていました。感激です。

さて、順々に回って3巡ほどしたかと思います。

以下気になった作品

ロダンは日本人との交流があったようです。

32の作品の中に日本人をモデルにした花子という大きな頭部の像がありました。

ロダンは表情豊かな花子を気にいりモデルに作っていたようです。

花子は小柄だったそうでロダンにプチトハナコと呼ばれていたそうですが、豊かな表情の花子を巨大につくることで小さな体に秘めた生命力なども表現されているように感じました。

ロダンと花子を書いた本があるそうなので一度読んでみたいです。

図書館を探したのですが見当たらなくて切ない…読んだら感想を書いていきたいと思います。

 

バルザックの像。これも大小何体かありました。

バルザックはマントで身を隠している像で、当時の評価は賛否両論であったそうです。しかし時がたち素晴らしい像だ!と認められたという前衛的な作品だったのです。

そのバルザックのマントの中身は勃起したペニスを掴んでいるんだというのを私の恩師が雑談で言っていたのですが、まさかここにマントを纏っていないバルザックが展示されているとは(汗

「これか!」と一人で笑ってしまいました。

バルザック像を求めて

バルザック像は幾つか違う形状の作品があるようです。ロダン館のバルザックはいつ頃の像だったのだろう…他にもバルザック箱根彫刻の森美術館と愛知県芸大に設置されていたのを見てきました。それらも形は違うのでしょうか。その時は全て同じだと思い込んでいたので…調べてみると面白いかもしれません。

 

都内では国立西洋美術館の庭にロダンが設置されていますが外にはありませんでした。都内に住んでいる人は無料で作品が見れて羨ましいです。バルザックは館内の常設展で見れるようですね、近くに行ったら行ってきたいと思います。